妄想と現実(マニアックなお話)

ボニピンの曲みたいなタイトルだw

以下、“娘。小説”が何か解らない人にはまったく意味不明のお話です。
感想とかでもありません。
長文なので、お時間、興味のある方だけどうぞ。

[:hide:]

実際知らない人の悲喜こもごも、その理由等、想像する以外ないじゃん。
手がかりとして現実に見たもの聞いたものの断片があって、
それを作者さんなりに掘り下げて組み替えて解釈して具現化したのが
娘。小説なんだと思います。

その掘り下げが深ければ深い程、物語が自然に思えてすごい現実的な感じがしてしまう。
実際そうなんだ、みたいな。
そんで、すごいあのコ達の気持ち解ってる(解る)って錯覚しちゃう。

でもほんとのところはわからないのが、
もしかしたら回りにいる人にも本人にすらそのすべては解けなかったりするのが、
人間の感情や行動のココロ。(そんな複雑な人達でもないと思うけど)

それでもやっぱ気になるから知りたいじゃん?(心配って感じかな)
現実のあのコ達はどんな風か。
で、その思い(心配)が高じるとstkになっちゃうのよね。
(病的なstkというより、この場合恋に似てるかなと。
 好きになった人を見守りたい…みたいな)

だから妄想(どんな風かの想像)と現実の狭間を埋める(補完する)ものが必要なの。
それが娘。小説なのだと思います。
だから作者も読者もみんなあのコ達の出来事に我が事のように感情移入できるというか、
共感出来ちゃうじゃないかなって。

でも忘れちゃいけない。

それはあくまでも“妄想”であって“現実(事実)”ではない、ってこと。

では“現実(真実は何?)”をどこから導き出すのか。

それは、あのコ達が自ら語った言葉を、あのコ達の気持ち通り、
ちゃんと受け止める事からはじまるんじゃないだろうか。

何かに関して、あのコ達が自ら語った言葉があってこそ、
初めてそれについて心配したり気を揉んだりができるんじゃないかって思う。

想像であーでもないこーでもない、色々考えるのも良いけど、
その時間にあのコ達以外の人や物事を考えたり思いをめぐらせたりする事も、
その(あのコ達の言葉をちゃんと受け止める)為の立派なシュミレーションに
なると思います。
他人や自分の悲喜こもごもも、ビジネスの仕組みも、仕事や勉強の苦労も。

つまり、

あのコ達も毎日をがんばってるのだから、
うちらも、自分たちの(あのコ達に思いを馳せる以外の)日常をガンバロウ!
それも立派な応援のカタチだと思う。

って事が言いたかったの。
まぁひとつの考え方だって言っちゃえばそれまでだけど。

なんでこんなことくどくど書いたかっていうと、
某所で某作者さんの落ち込みっぷりを見たからです。
(解る人にしかわからない、ってか解る人いるのか疑問だけどw;)

大林監督の初期尾道三部作の『さびしんぼう』という映画で、
主人公の男の子が窓越しに見えるピアノを弾く女の子に恋をして、
だんだん仲良くなるんだけど、女の子は男の子に自分の家を教えなかったの。
あまり良い暮らしをしてなくてそれを見せたくなかったから。
でも我慢しきれず訪ねて来た男の子に女の子は
“好きになったのは窓辺から見えた私、ほんとの私は見ないで”って言うの。
(↑ちょっと言葉置き換えてます)
つまり深く付き合うつもりはないって振られちゃうわけ。

ほんとに人を好きになるってそーゆーのも含めて受け入れる事だと思うけど、
相手がそれを望んでいなかったらどうします?
それでもそこに踏み込む資格があるのは誰なんでしょう?

ふとこの映画の一場面を思い出して、
もしかしたら、私のような(現実を知り得ない)立場では、
見てはいけない、見なかった事にしなければいけない部分もあるのかも…
と思ったり。

なんかね、
あのコの秘して語らぬ様を見てるとそう言ってるように思えてならないの。
まぁこれも上の話からすると“妄想じゃね?”と思うかもしれませんが
これはあのコの“秘して語らぬ”事実を一応解釈したつもりです。


久しぶりの記事なのに長くなってしまいました。

つか関係ないけど『うたばん』見逃した・・・
新曲見たかったよほ・・・
でも三連休

といういつも通りのオチで絞めとこw

長文にお付き合いいただきありがとうごさいました。