『一市民の書いている日記的ブログ』考

この記事でいうブログとは、“一市民=その意見の社会的影響力のごく少ない個人”の書く、個人の思いや意見を綴った日記的ブログのことです。

私はそういうブログは個人の私意を世間に公開する場と考えています。
それを公開するということは、他の人の意見や反論も覚悟すべきこと。
でもそれにどう対処するかは、一市民レベルなら、個々の自由と思います。

もしも、なんらかの理由で自分のブログが荒れてしまった場合、
コメ&トラバを一時停止にするなど、
できるだけのハード的な処置は行おうと思いますが、
ブログを某巨大掲示板と勘違いしてる匿名書き逃げコメントに
答える義務はさほどは感じていません。
一個人の意見とわきまえた上での異論で、その理由が理解でき、
なおかつオープンにレスをする意味のあるものであれば話は別ですが。
私のコメントに対する対応の考え方はそんな感じです。

たとえばなんかのTV番組に出たタレントについて、
“私はそのタレントを見てこう思った” という記事があったとして、
“こう思った” の部分に異論があって、それをコメントとして付けたいなら、
その異論という私意がどう違うのかを、根拠や理由をふまえて、
それが他人にも理解できるような言葉で述べられていなければ
記事についてのコメントとして機能しない(=単なるエゴの押しつけ)と思うし、
そもそも “こう思った” 部分を否定するのはナンセンスと思うのです。
そしてそれ(自分と意見が違う)を理由にその人の人格までどーこー言うのは
もはや本末転倒です。
一市民の立場で見知らぬ人にそこまで言われる筋合いはないと思うのです。

【引用始まり】 ---
し‐い【私意】
1 自分一人の考え・意見。私見

い‐けん【意見】
1 ある問題に対する主張・考え。心に思うところ。

Yahoo!辞書より)
【引用終わり】 ---