一週間前のあの日にまつわる事を


一週間たった今、書いておこうと思う。
私なんかが忘れてもいいことだけど。


あの日は土曜日でお休みで適度に惰眠をむさぼり
起きてコーヒーをだらだら飲んで、パソコンを起動したのは
もうお昼に近い時間だったと思う。
さっそくいつもの某所にアクセスしていつもの所を覗いた。
結構な量の新しい書き込みを読み込んで未読のところからスクロールし始めた。
しばらくして、まずテキストでその書き込みを見つけた。
半信半疑のまま更にスクロールしていくと、
画像をしめすURLが青い色で貼られていた。
クリックするとスポーツ新聞の記事をスキャンした画像だった。
あげた人も慌ててたのだろうか縦のものを横に採ったそのままだったので、
ダウンロードしてフォトショップで回転させた。
正体になったその活字に愕然とした。
居てもたってもたまらずパソコンの前の椅子から立ち上がり
つけっぱなしだったTVの前までほんの数歩だけど歩いて
「マジかよ」思わず呟いた。
そのまま脱力して床に座りゴロンとある大きなクッションにもたれた。


あのコの弟のことはあのコが話す話を通して知っていた。
あのコは家族が大好きなんだと思っていた。
だから記事にあった『憔悴しきってスタッフからの電話にも出られない状態』
というのも容易に想像できた。
その様子を思って、大丈夫なんだろうかと、とってもとっても慌ててしまった。


その日その界隈はひと騒動だった。
みんなあのコの家族想いを知ってたからそのショックは当然だろう。
でも・・・
色々読んでくうちに、
うちらがそれを嘆くのはなんか違うんじゃないんじゃないかって思いはじめた。
思い付くまま上げてしまった自分のブログの一文も削除した。


ほんとの悲しみと感傷は違うんだよ。
だって誰もほんとの彼を知らないじゃない。


翌日、予想に反して出演が危ぶまれたライブにあのコは現われた。
当然新聞は悲劇のヒロイン然とした見出しで大きく書き立てた。
でもその記事から、私にはあのコがライブに出演した真意は伺い知れなかった。
ただ自分で『出たい』と言ったという事だけが、
報じられた唯一のあのコ言葉だったと思う。


だからライブでのあのコの様子を伝える
『変わらない笑顔だった』とか『元気だった』とかの言葉に疑問を持ってしまった。
笑顔だから元気だったから心もそうなんだろうかと。


あの時のあのコの笑顔や元気は、歌やダンスやステージの段取りと同じくらい
染み付いちゃってるものかもしれないプロだからこその性なんじゃないだろうかと。
ほんの数日でその傷が癒えるわけないと思う方が自然でしょ。


でも、その日の声を聴いて、
あのコがそうしたのはあの場所を守りたかったからなんじゃないかと、
私もまた勝手にそう思うことにした。


最初の記事を消したあと、
すぐにそれを知る前に書こうと思っていたいつもと変わらぬ記事を書いた。
その日の声を聴いたのはその数日後だったけれど。


今のあのコにいつもと変わらぬ風景はどう映るだろうか。
空しく思うならもどらなくても良い。
でもそれでその時だけでも痛みを忘れられるならそれは悪い事ではないと、
そういう自分を受け入れられるようになって欲しいと心から思う。